|
旧
田中家住宅とは |
|
|

|
旧田中家住宅は、大正10年(1921)に上棟し大正12(1923)に完成した木造煉瓦造3階の洋館と、昭和9年(1934)に増築された和館の他、茶室、文庫蔵、煉瓦塀、池泉回遊式庭園により構成されています。
洋館は、デザイン性に優れた優美な外観で、イギリス式に煉瓦を積んだ壁に化粧用煉瓦を貼り、県下有数の本格的洋風建築です。
和館は、木造一部2階建ての寄棟屋根をのせた数寄屋造りの建物です。この和館が建設された時期は、4代目コ兵衞が貴族院議員として政界に進出していた時期と同じであり、大勢の来賓を迎えて行事を行うため、洋館に増築して建設したものと考えられます。
旧田中家住宅は、平成18年3月27日に国登録有形文化財に登録されました。 |
|
|
|
田中家について |
|
|
田中家では、代々嫡男が家督を相続し「コ兵衞」を襲名してきました。
農家であった初代の跡を継いだ2代目コ兵衞(文政11年〜明治38年)は、当時、周辺の農村における特産品であった大麦と豊かな地下水を利用した麦麹味
噌の醸造業と材木商を始め、その後の田中家発展の基礎を築きました。
現代に残る邸宅は、4代目コ兵衞(明治8年〜昭和22年)が築きました。彼は、19歳で家督を相続した後、家業の発展に力をいれるとともに、大正2年
(1913)に埼玉味噌醸造組合の組合長に就任の後、南平柳村々会議員、県議会議員、貴族院議員を歴任しました。一方、家業も当時の経済発展の流れの中で
隆盛を極めました。
5代目コ兵衞(徳太郎)は、昭和24年(1949)2月から28年2月までの4年間、第9代川口市長として、地域の発展に尽力しました。
|
|
|
味
噌醸造について |
|
|


|
明治9年(1876)の『武蔵国郡村誌』によると、十二月田村の物産の欄に「味噌12,680斤(7,609.2s)輸出」と記載されています。この地区
で、これほどまでに味噌醸造業が発展したのは、地区内で優良な原料麦がとれたこと、そして江戸(東京)という大消費地に隣接していたことによります。この
中でも田中コ兵衞商店では、「上田一」という銘柄で全国的に販売を展開していました。
戦後、昭和24年(1949)に味噌の統制が解か
れると、川口の味噌醸造業者は、原料の確保と販売の拡大を目指して「南部味噌十日会」を結成しました。その後、各種産業の発展により、味噌醸造工場も巨額
の設備投資が必要となりました。しかし、将来の需要の伸びも期待できない情勢であったこと、加えて労働力の不足が生じたことなどから、昭和40年頃には味
噌醸造は、ほとんど行われなくなりました。 |
|
|
|